大学では、入試、履修、成績、学生アンケート、卒業後の進路など、日々さまざまなデータが蓄積されています。しかし、データを集めて報告書を作るだけでは、学生支援や教育プログラムの改善にはつながりません。 大学IR(Institutional Research)の本来の役割は、学内外のデータを収集・分析し、大学経営や教育改善に必要な意思決定を支援することです。重要なのは「どのデータを集めるか」だけではなく、「何を明らかにし、誰のどのような判断に役立てるか」を設計することにあります。 本記事では、大学IRの意味や教学IRとの違い、主な業務、実践の進め方を整理します。さらに、aZリサーチを運営するReBear合同会社と新潟大学が共同で行った学生インタビュー調査を取り上げ、学生の声を教育プログラムの改善に生かす方法を具体的に紹介します。
大学IRとは、大学内外に存在する情報を収集・蓄積・分析し、大学の計画策定、意思決定、教育研究活動の改善を支援する活動です。IRは「Institutional Research」の略で、日本語では「機関研究」などと訳されます。
たとえば、次のような問いにデータから答えることが大学IRの役割です。
大学IRの成果物には、集計表、ダッシュボード、ファクトブック、調査報告書などがあります。ただし、これらを作ること自体が最終目的ではありません。分析結果を学内の関係者が解釈し、施策を決め、実行後の変化を検証できて初めてIRが機能したといえます。
大学IRと企業IRは、同じ「IR」という略称でも意味が異なります。
比較項目 | 大学IR | 企業IR |
正式名称 | Institutional Research | Investor Relations |
主な目的 | 大学経営・教育研究活動の意思決定や改善を支援する | 株主・投資家へ経営情報を提供し、対話する |
主な利用者 | 大学執行部、教職員、学生、評価機関など | 株主、投資家、アナリストなど |
主なデータ | 入試、履修、成績、学生調査、進路、研究、財務など | 業績、財務、経営戦略、株主還元など |
代表的な成果物 | ダッシュボード、ファクトブック、調査報告、改善提案 | 決算説明資料、統合報告書、投資家向け説明会 |
大学におけるIRは、情報を外部へ発信する活動だけを指すものではありません。大学内の現状と課題を把握し、組織としてより良い判断をするための基盤づくりまで含みます。
大学IRが大学全体の活動を広く対象とするのに対し、教学IRは教育・学修に関する領域へ重点を置く取り組みです。
教学IRでは、履修状況、単位取得、成績、GPA、授業評価、学生調査、学修成果などを分析し、教育課程や授業、学生支援の改善につなげます。一方、大学IRには、入試、財務、研究、組織、人事、地域連携などの分析も含まれます。
領域 | 主な対象 | 活用例 |
教学IR | 履修、成績、学修成果、授業評価、学生調査 | カリキュラム改善、授業改善、学修支援 |
入試IR | 志願者、受験者、合格者、入学者 | 募集施策や入試制度の検討 |
経営IR | 財務、人員、組織、施設、外部環境 | 経営計画や資源配分の検討 |
研究IR | 研究費、論文、共同研究、社会的成果 | 研究戦略や研究支援の検討 |
実務では、大学IRと教学IRを厳密に分けずに扱う大学もあります。名称よりも、分析対象と意思決定の目的を関係者間で明確にすることが重要です。
大学IRが重視される背景には、教育の質保証、少子化、大学経営の複雑化があります。
大学には、教育目標に照らして学生が何を学び、どのような力を身につけたのかを把握し、教育を継続的に改善することが求められます。
文部科学省の「教学マネジメント指針」は、大学が自らの教育理念に基づいて学修目標を設定し、教育課程を編成・実施したうえで、学修成果や教育成果を把握・可視化し、改善につなげる考え方を示しています。その基盤の一つとなるのが教学IRです。
成績やアンケートを単年度で集計するだけでなく、教育目標、カリキュラム、学修行動、成果の関係を継続的に確認する必要があります。
18歳人口の減少が続くなか、大学には教育の質を高めながら、志願者の確保、学生の定着、卒業後の進路支援などに取り組むことが求められます。
「前年より志願者が減った」「特定の学年で休学者が増えた」といった結果だけでは、適切な施策を決められません。どの層で変化が生じ、学生がどのような経験をし、制度や情報提供のどこに課題があるのかまで把握する必要があります。
教職員が学生と日常的に接するなかで得る実感は、大学運営において重要です。一方、その実感がすべての学生に当てはまるとは限りません。
IRは、現場の経験を否定するためのものではなく、経験から生まれた仮説をデータで確かめ、共通認識をつくるための活動です。定量データと学生の声を組み合わせることで、数値の背景を理解し、改善の優先順位を判断しやすくなります。
大学IRの業務は「データを分析すること」だけではありません。課題設定からデータ整備、分析、共有、施策の効果検証までを含みます。
最初に、「何を判断するための分析か」を明確にします。
たとえば「学生アンケートを集計する」では目的が曖昧です。「教育プログラムの履修継続を妨げる要因を把握し、次年度の支援策を検討する」と設定すれば、必要な対象者、質問項目、分析方法、報告先が見えてきます。
課題設定では、次の点を関係者で確認します。
大学内には、次のようなデータがあります。
実務上の大きな課題は、データが部署やシステムごとに分散し、項目名や定義が統一されていないことです。分析に入る前に、データの所在、管理責任、更新頻度、定義、結合に使うIDを整理する必要があります。
分析方法 | 明らかにできること | 大学IRでの使用例 |
単純集計 | 全体の構成や水準 | 満足度、履修者数、回答割合 |
クロス集計 | 属性や群による違い | 学部別・学年別の満足度 |
経年比較 | 時間による変化 | GPA、志願者、退学率の推移 |
相関・回帰分析 | 項目間の関係や影響要因 | 学修行動と成績の関係 |
コーホート分析 | 同一入学年度集団の変化 | 入学から卒業までの追跡 |
自由記述分析 | 意見のテーマや傾向 | 授業評価コメントの分類 |
インタビュー分析 | 行動の理由や経験の背景 | 履修動機、継続・離脱要因 |
平均値や割合だけでは、少数の学生が抱える重大な問題が見えなくなる場合があります。全体傾向と個別の経験を行き来しながら解釈することが重要です。
分析結果は、利用者に応じた形で伝えます。執行部には重要指標と経営上の示唆、学部・学科には改善可能な具体的課題、実務担当者には対象者や時期を含む施策案が必要です。
グラフを並べるだけでなく、少なくとも次の順序でまとめると、判断につながりやすくなります。
IRは報告書の提出で終わりません。改善策を実施した後、同じ指標や調査方法を使って変化を確認します。
たとえば履修ガイダンスを改善した場合、制度理解度、履修開始率、継続率、学生からの問い合わせ内容などを実施前後で比較します。成果が見られなければ、仮説や施策を見直します。
ディプロマ・ポリシーや教育目標に対し、学生がどの程度到達しているかを確認します。成績やGPAだけでなく、学生の自己評価、ルーブリック、外部試験、卒業研究、ポートフォリオなど、複数の情報を組み合わせることが大切です。
選択式回答の割合や平均値に加え、学部・学年別の違い、過年度からの変化、自由記述の内容を分析します。低評価の項目を探すだけでなく、高く評価されている経験とその理由を把握すれば、大学の強みを他の授業やプログラムへ展開できます。
入試区分、出席、単位取得、成績、学生調査などを組み合わせ、支援が必要となる兆候を検討します。ただし、分析結果を個人への一方的なラベリングに使うのではなく、相談窓口、履修指導、経済支援などにつなぐ運用設計が欠かせません。
入試データだけを見るのではなく、入学後の成績、学修行動、学生生活、卒業、進路までをつなげると、入試制度や学生募集施策を教育成果の観点から検討できます。
新設した科目群、副専攻、学部横断型プログラムなどでは、参加者数や修了者数だけでなく、参加の動機、学修経験、得られた成果、継続を妨げる要因を把握する必要があります。
「何人参加したか」は定量データで分かります。一方、「なぜ参加したのか」「なぜ途中で続けにくくなったのか」を理解するには、アンケートの自由記述やインタビューなどの定性調査が有効です。
分析を始める前に、最終的な意思決定を一文で表します。
たとえば、「学生の履修実態を調べる」ではなく、「履修継続を妨げる制度上・支援上の要因を特定し、次年度の履修モデルと支援体制を改善する」と設定します。
関係者へのヒアリングや既存データをもとに仮説を立てます。履修が続かない理由として、時間割、単位制度、情報不足、学修負担、期待とのずれなどが考えられるなら、それぞれを確認できるデータや質問を用意します。
仮説を事前に持つことで調査は具体的になります。ただし、仮説に合う答えだけを集めないよう、想定外の経験を話せる質問や自由回答も設けます。
定量調査は、全体の傾向やグループ間の違いを把握するのに向いています。定性調査は、行動の理由、判断の過程、制度を利用したときの経験を深く理解するのに向いています。
たとえば、履修中断者が特定の学年で多いことを定量データで確認し、その学年の学生へインタビューして背景を探ります。得られた仮説を、次のアンケートや全数データで検証する方法もあります。
「学生の理解が不足している」という結論だけでは、改善策につながりにくくなります。「ガイダンス時点では履修の組み方が分からない」「必修科目との重複が起きる」「相談先が知られていない」など、大学側が働きかけられる課題へ分解します。
課題ごとに、担当部署、対象学生、実施時期、必要な資源、成果指標を整理すると、分析から実行へ移りやすくなります。
学生の認識や行動は、入学直後、履修開始後、専門科目が増える時期、就職活動期などで変化します。一度の調査だけで結論を固定せず、複数時点で追跡することが重要です。
同じ学生を追う縦断調査が難しい場合でも、毎年同じ時期に同じ設問を尋ねたり、学年ごとの比較を継続したりすることで、変化を把握できます。
ここからは、学生の声を教育プログラムの改善へつなげた具体例として、aZリサーチと新潟大学の共同調査を紹介します。
新潟大学の「NICEプログラム(全学分野横断創生プログラム)」は、学生が所属学部の専門分野に加え、学部の枠を越えて多様な分野を学べる教育プログラムです。学生の興味・関心に応じて学びを選ぶメジャー・マイナー制を取り入れ、幅広い知識や視点を身につけることを目指しています。
一方、学生がどのようなきっかけでプログラムへ参加し、どのような経験が履修継続につながるのかは、十分に把握されていないという課題がありました。
そこでReBearと新潟大学は、参加動機、学修経験、継続要因、履修上の課題を学生インタビューから整理し、プログラム改善の示唆を得るための共同調査を行いました。調査結果は、日本教育工学会2026年度秋季全国大会で発表されています。
項目 | 内容 |
対象 | NICEプログラム履修生11名、SA(Student Assistant)9名、計20名 |
方法 | 半構造化グループインタビュー |
実施時期 | 2026年2月17日~18日 |
実施形式 | 1グループ4~6名、計4セッション、各約60分 |
主な項目 | 入学に至る過程、大学の認知・志望時期、プログラムの認知経路・参加理由、履修継続状況など |
倫理的配慮 | 研究参加への同意を取得し、発言内容を匿名化 |
半構造化インタビューは、あらかじめ主要な質問を用意しながら、回答に応じて理由や経験を掘り下げる方法です。選択式アンケートでは想定しにくい背景や、学生自身も整理できていなかった経験を把握するのに適しています。

aZリサーチと新潟大学は、NICEプログラムの受講生4名へのインタビューを基に、オープンキャンパスで高校生へプログラムの魅力を伝えるポスター制作にも取り組んでいます。
従来のポスターは制度説明や情報量が中心となり、高校生に十分響いていないという課題がありました。学生本人の経験を起点に構成し直すことで、高校生が「自分がそこで学ぶ姿」を想像しやすい表現へ転換しました。
教育改善を目的とするIRと学生募集を目的とする広報では、利用目的や成果指標が異なります。しかし、学生の経験を丁寧に把握し、目的に応じた施策へ落とし込む点は共通しています。
学務、入試、学生支援、キャリア、財務などが別々のシステムやExcelファイルでデータを管理していると、結合や比較に時間がかかります。
まずは全データを一つのシステムへ移すのではなく、重要な指標について、データの所在、項目定義、責任部署、更新頻度、利用権限を一覧化します。共通IDや年度の扱いを統一するだけでも分析の再現性が高まります。
毎年同じ集計表を作っていても、それが誰のどの判断に使われているか分からないことがあります。
報告書ごとに利用者と意思決定の内容を確認し、使われていない指標は見直します。また、結果を報告する会議だけでなく、改善策を決める会議や実施後の検証時期まで、最初から計画に含めます。
大学IR担当者には、データ加工や統計だけでなく、大学業務への理解、課題設定、調査設計、結果の説明、関係部署との調整など幅広い力が必要です。一人ですべてを担うのは現実的ではありません。
IR担当者、教務担当者、教員、情報システム担当者などが役割を分担する体制をつくり、高度な調査設計や定性分析が必要な場合は、外部の専門家を活用する方法もあります。
詳細な分析でも、現場が解釈しにくい表現では行動につながりません。利用者が変更できる制度や業務の単位まで課題を分解し、優先順位を付けて伝えることが重要です。
学生の発言や経験を匿名化して添えることも有効です。数値だけでは伝わりにくい課題の具体像を共有できます。
大学IRでは、成績、家庭状況、進路、自由記述など、慎重な取り扱いが必要な情報を扱います。利用目的を明確にし、必要最小限のデータだけを使い、アクセス権を制御します。
インタビューや調査を行う場合は、参加が任意であること、利用目的、記録方法、匿名化、成果の公表範囲などを説明し、適切な同意を得ます。研究として実施・発表する場合は、大学の倫理審査や関連規程を確認してください。
BIツールや統計手法の導入を先に決めると、使えるデータだけで分析テーマを設定しがちです。まず意思決定したい課題を明確にし、その後で必要なデータと方法を選びます。
定量データは「何が、どの程度起きているか」を示し、インタビューなどの定性データは「なぜ起きているか」を考える材料になります。どちらか一方だけで結論を出さず、相互に仮説を確認します。
IR部門だけでは、カリキュラム、時間割、相談体制などを変更できません。分析の初期段階から、執行部、学部・学科、教務、学生支援、キャリア支援など、改善を担う部署に参加してもらう必要があります。
最初から全学データを統合しようとすると、調整に長い時間がかかります。特定の教育プログラム、学生アンケート、履修支援など、意思決定者と対象が明確なテーマから始め、分析から改善までの実績をつくる方法が有効です。
外部の調査会社や専門家を利用する場合も、成果物の納品だけで終わらせず、調査目的、質問設計、分析基準、改善案を学内担当者と共有します。次年度以降に大学が検証を継続できる形を目指します。
aZリサーチでは、Z世代への定量・定性調査から、得られた声を基にした企画・クリエイティブ制作までを支援しています。

大学IRは、大学内外のデータを集めて可視化するだけの業務ではありません。大学経営や教育に関する課題を設定し、必要なデータを分析し、関係者の意思決定と改善を支援する活動です。
大学IRを機能させるには、次の点が重要です。
新潟大学との共同調査では、学生へのインタビューを通じ、参加動機、学修上の成果、履修継続を妨げる要因、学生の類型を整理しました。その結果は、履修モデル、アドバイジング、キャリア事例の共有など、具体的な改善の方向性につながっています。
数値だけでは学生の経験や行動の理由を十分に捉えられないことがあります。学生の声を教育改善や広報施策へ生かしたい場合は、調査目的の整理から対象者設計、インタビュー、分析、施策化までを一つのプロジェクトとして設計することが大切です。